自分で考える喜び

  「ものを作る喜び」というのは私にはいまだ理解できない高尚な思考です。ただ、「自分で考える喜び」というのを私は知りました。



 人間にはものを作る喜びが生まれつき備わっていると言います。私は昔、塗装工として使われていた時、意味がわかりませんでした。来る日も来る日も暑いなか寒いなかペンキと格闘です。喜びも何もありません。春と秋はいいのですが、猛暑の8月や寒い2月は「早く終わらないかな」と思って仕事していました。

 工業高校の先生なんかは「ものを作る喜びを生徒に味わってほしい」とよくいいますが、あんなものは建前のうそっぱちだと思ってました。
 仕事が面白くなってきたのは親方に言われたことをそのまま通りにするのではなく、自分で考えてやるということを覚えてきてからです。仕事の手順などは、もちろん親方の言うとおりにやらないと怒られます。しかし、段取りや後始末など、本来の仕事の前後の親方が何もいわない部分もあり、そこは自分で工夫することができるのです。前日に段取りを工夫するだけでこんなに当日楽できる、後始末はこの手順でやると一番楽など。そんなことは親方も特にこだわりをもっていないため、何もいわれず、自分の考えでできるのです。
 親方や専門学校の教科書のいいなりでなく、自分で考えてやると、仕事についてのモヤモヤが晴れ、すかっとしました。
 外山滋比古さんの思考の整理学という本に、「人間の体験から出てくる言葉もっと大切にすべき」という言葉があります。自分で手をうごかしながら「これ教科書や、親方の言っていることと違うんじゃない」と思っていたことが、自分で根拠を探して考えていくとさーっと晴れ渡りました
 そうすると、こんどは仕事の手順も自分で考えるようになります。本には横塗りがいちばんと書いてあるけれど、実際は縦塗りがいい部分もあるのでないかとか、このやり方が雨漏り防ぐのに一番いいとされていて、建築業者の集まりでも、賛同している人多いけれど、これはメーカーが高い部品を買わせるために言っているだけで科学的根拠は何もないとか。

 そのころになると、親方から見ると口答えをする生意気な部下になってきますので、左遷されますから、袂を分かち、修行時代が終了するころになってきます。日本というのは、自分と違う意見をいう人は敵とみなす文化があるからです。イギリスのように「私とあなたは意見が違うが別に私はあなたの敵ではない」という文化になかなかなりません。
 自分で考えるための土台となるのが数学です。ほとんどの建設の文献は物理学と化学の知識がないと理解できないのです。数学は物理学と化学の土台です。数学力こそ、建設業の土台。しかし、この業界は勉強苦手な子が多いのです。いつか、建設業の社員向けに数学塾を開くのが私の夢です。