外国人が日本語を学ぶ→日本では「沈黙は金」→自分の意見がいえないなら学ぶ意味あるの?

電車の中で、英会話教室の宣伝を見ながら考えました。


日本語を輸出をもっと大きな産業にするというのはどうでしょう。
日本語を学べば韓国語、中国語の学習が圧倒的に楽になります。欧米人から見れば、日本語、韓国語、中国語は難しすぎます。
この難しい三大言語のとっかかりとして、日本語の学習をすすめるわけです。韓国語、中国語と似てる部分が結構ありますから。

そうすれば、世界中に日本語教師の需要ができますし、日本語の教材が売れるでしょう。
語学学習産業も、現在ブームである観光戦略と同じで、産業廃棄物のでないクリーンな産業です。
ただ、語学を輸出するということは、それに付随する文化を輸出するということです。
私たちは日本人のいやな面を知っております。
ラグビーの山田選手が秩父宮スタジアムの芝の状態について批判をし「言わないと始まらないかな」と言っております。
これは非常に危険です。日本で雇われている人は人形のような「しゃべらない、ニコニコわらっているだけ」の人物が求められるからです。
おそらくニュージーランド人の前監督であるエディージョーンズがいいたいことをバリバリ発言するタイプでしたので、彼に影響を受けてこのような発言をしたのでしょう。しかし、これは保身という意味では間違っております。この一言で、彼は日本代表に選ばれなくなってしまい、スポンサーもいなくなってしまうかもしれないからです。

昔、阪神の江本投手(その後国会議員)は「ベンチがアホやから、野球ができへん」といっただけで、引退においこまれました。
なぜ江本投手が小さいころからプロ野球選手になりたいと練習をがんばってきて、やっと獲得したプロ選手という職業を、「ベンチがアホやから、野球ができへん」の一言で奪われてしまうのでしょうか。
さらに、奇怪なことに、実は本人は「首脳陣批判はしたが、『ベンチがアホ』とはいっていなかった」といいます。

日本では自分の意見をもっていても、それを発言した場合、周囲の人が勝手に揚げ足をとって尾ひれをつけて、あることないことを足して、発言した本人に再起不能のダメージを与えることができるのです。ですから、日本の政治家はとても言葉を選んで慎重に話しますね。
逆に森元首相のように、ぽんぽんしゃべる政治家は周囲の人に上げ足をとられてしまいやすいのです。
結局日本人はしゃべらなくなってしまう。元巨人、ヤンキースの松井選手は現役時代、ほとんどしゃべらなかったといいます。

江本選手や松井選手の影響かはわからないですが、日本の野球選手は「ファン向けにニコニコわらっているだけで、自分の意見をもっていても口にしない」選手が多いように思います。

このリンク先にみられるように、日本の上司は絶対服従を求めるため、ちょっとでも部下が気に入らないと即座に組織から抹殺しようとするからです。こちらのリンク先をみるのもいいかもしれません。

だから会社に金を持ってくる側である営業サイドはまだ少しは会社に対して意見をいえますが、会社に金を使ってもらう存在である技術サイドは会社に一切の意見がいえなくなってしまうのです。

職人は寡黙といいますが、もともとしゃべらない人間が職人になることが多いというのもありますが、「会社に逆らっていると思われたくない」という生活の必要性から寡黙になっていることを見逃してはなりません。

「沈黙は金」という言葉は、日本という社会で後の世代が生き抜くために、先輩たちが残してくれた格言です。しかし、この言葉が日本人のDNAに刻み込まれている限り、外国人が日本語を学んでも、「日本語を勉強したのに、日本ではしゃべれない、自分の意見をいえない、つまらない」というジレンマに陥ります。