価値観の違い

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 前回の書いた内容は逆で、優秀な日本人学生がアメリカの大学院にいって、口先の達者で理数系の能力ははるかに日本人に劣るアメリカ人学生に圧倒的に負けた話です。
 「しゃべれなくても、理数系の学力が高いほうがよい」という価値観の小野雅裕さんは、「理数系の学力が低くても、しゃべれたほうがよい」というアメリカ人学生に評価で負けてしまいます。



 「日本の価値観では自分が上。でも、アメリカの価値観ではしゃべれる人が上」「日本とアメリカでは評価基準がまったく違う。それなのに、自分は日本の『しゃべれなくても理数系の学力が高いほうがよい』という価値観で勝手に自分が優れていると思っていた。」といいます。

 これは私たちの人生においてもあるのではないでしょうか。私たちは「イギリス人はごはんがまずい」「イタリア人は怠けていて働かない」「中国人は模倣製品ばかりを売っていて開発力がない」などという論調をインターネット上で読みます。しかし、それは私たちの「おいしいごはん、勤勉、新しいものを生み出す力」を重んじる基準で彼らを勝手に「日本より劣る」と決め付けてしまっているのです。しかし彼らは彼らで別の基準を持っているのです。

 イギリスの教育についてのリンクです。日本の教育では、4月に教科書をぽんと渡されておしまいですが、イギリスでは、「こうやって勉強するといいよ」まで教科書に書いてあるのです。おそらくイギリスの感覚では「ごはんがおいしいことよりも、子供をしっかり教育することが大事」という価値観があるのでしょう。イギリス人が日本の教科書を見たら「なんだこれは、どうやって勉強をすればいいかわからないじゃないか、なんて責任感のない国民なんだ」と見下すかもしれません。

 これは、イタリア、中国も同じで、彼らは彼らの価値観でもっと大切なものがあるのです。

 そしてこれは人生においても言えます。誰かが誰かの一方的な価値観で他人を見下すということはどこでも起きていることで、それはくだらないことです。登山家を「奥さんと子供がいるのに命がけの冒険をして責任感のないおかしい人だ」と見下す人もいるかもしれませんし、逆に登山家は「山を登る喜びを知らないなんてかわいそうな人たちだ」と山登りを趣味としていない人を見下すかもしれません。

 価値観の違いというものを常に頭にいれておきたいものです。評価軸は常に違い、一人一人がその人の人生の中で常にナンバーワンなのです。